自己紹介

ちょっとしたことでラッキーが増えるなら
人生はちょっとずつ楽しい

札幌で活動中の山田夏蜜です。

ながーい文ですが、よかったら私の半生をお聞きください。


私は、小さいころからコロンコロンした体型で、中学生になると1日5食になりました。

髪は超くせ毛で、肩に当たった毛先が丸まって上にせりがるという強情ぶり。

まぶたは、片方が一重で、写真に写るのが本当に嫌でした。

さらに、赤ちゃんのころの大けがで、両腕に大きな傷があり、半そでになるのが嫌でした。

(必然的に体育が嫌になり、運動が嫌になり、コロンコロン体型に拍車がかかる)

冬は、遅刻ギリギリの毎日ゆえに、洗ったままの髪が凍り、駅で溶けるという日々。


そんな私も、進路を考える季節がやってきます。

周囲は、専門学校や専攻したい分野がある大学など、「やりたいこと」を第一にした進路を

語り合っていました。

「おねえタマは、どうするの」

私の答えはひとつです。「お金のかからないところ」

専攻だの、ファッションだの、デザインだの、関係ありませんでした。

もっともお金のかからないところ、それは夜間大学です。

昼間働いて、夜遅くまで勉強し、さらにサークルに出ました。

しかし、この4年間は意外に楽しかったです。

確かに、昼間部の大学生がうらやましかったけれど・・・

みんなと違うことしているのが、楽しかったんですね。

在籍している間、小説を書いて学内コンクールで佳作をとり、賞金をもらいました。

廃部になるかも知れない所属サークルを、みんなで立て直ししたり・・・


しかし、働いて勉強して、周囲の学生も社会人がほとんどだったため、就職活動に対し

一切の情熱もわきませんでした。だって、企業の中身を知っていたから。

どこ行っても同じだと決めつけてました。(それは今も思っているかな)

卒業後はバイト生活です。

しかも近所(笑)

そう、すでに燃え尽きていた私(爆)

持っていたのは、馬鹿らしい夢だけ。「小説書きたい」


だらだら生活が続きます。当然、小説なんて書いてやしない。

やがて、母の重病が判明します。

それは・・・私がどれだけ世間でいうポジティブ思考で甘く見積もっても、

母の命は「老後」を知らずに終えるのだと知りました。

「就職してほしい」

母が言うので、私は就職活動をし、区内でバス通勤の一般事務に就きました。

それまで品目違えど販売一筋で、よくまあ未経験者雇ったと思います。

(理由は、履歴書の字がきれいだったからだそうです。今はパソコン作成ですよね)


そして始まったのはやりがいある毎日ではなく、先輩社員からどんだけ嫌われてんのって

くらい嫌われる毎日でございました・・・

ここに書くと泣きたくなるので割愛し(笑)完全に体を壊し退職。


しかし。事務の神様はいらっしゃった(笑)

早くて3日でいなくなる事務員の仕事を1年がんばった私。

ハケンのなんたらというドラマが流行る前ですか、派遣社員登録をして

母の病院費用の足しにしようと決意。

医療費、はんぱないくらいかさみました。当然ですが、はい。マネーレンタル(笑)


行政のカラクリでしょうか。泣けてきます。泣けるので割愛(笑)


社内で私はダメ人間でした。

しかし、派遣先では重宝され、指名がくるほどに。

つまり、相当鍛えられていたのです。


これが、今の個人事業主登録の際に難しく考えなかったポイントのひとつです。

ですが、現在にいたるまでに過去はあったわけで・・・

私は絵を描くこと、モノを作ること、大好きですが、何より母が私の作品を部屋に飾る

くらい、応援してくれていました。ダメ出しもしました。


その母が、天国へ。

半年間、私は引きこもり状態に近くなり(家族にはバレないようにして)

泣いて暮らしました。


母の代わりに主婦業をするため、長期ハケンも辞めました。


ある日、母が使っていた鏡台に座ってぼんやりしていると・・・

「ぎゃあああああ!」

貞子がいる!

あれ、私だった・・・・(爆)


そう、自分のとんでもねぇ姿に自分で驚いて、目が覚めたのでございます。

そこからは回復も早く、まず好きな美術展などに足を運び・・・

髪も切って・・・

せっかく、カワイイにゃんこがいるし、ブログも初めて・・・

(当時2歳の猫のタムラさんを、母は入院の朝抱っこして「行ってくるからね、いい子でいてね」

と言ったのを思い出すなあ。待っててね、とは言わなかった母。)


そうやって、ひとつずつ、一歩ずつ、やりたいことを増やしていきました。

今でも2秒で泣けます。母を想うと。


ゴムが切れそうになっていた天然石のブレスを自分でリメイクしたのがきっかけで、

どんどん石の世界のとりこになったし、

辛いときは石に応援を頼み・・・

たまたま聴いたコンサートがきっかけで自分もクラシックギターを習うことにしたし、


こうして振り返ってみると、

自分が生まれてきた理由って、

自分を乗り越えるために生まれてきたのかなあ。

そう、思います。

そして、乗り越えるたびに、自分ひとりでは乗り越えていないことに気づく。

小説も、天然石のアクセサリーも、あなたの心に寄り添うひとつの「チカラ」でありたい。


私は、そう思って全力でモノ創りをしています。

そして、私の書いた小説や詩が、世の中を駆け巡ります。